気まぐれ日記 2023年11月
2023年10月はここ
11月1日(水)「次回の日記更新は5日(日)・・・の風さん」
昨日に続いて、ひたすら準備準備準備。
朝食後、 hairdye の待ち時間の間に、ナビに今回訪れる目的地を6か所、新たに地点登録した。ナビは昨夜のうちに書斎に持ち込み、ずっとUSB充電してあった。さらに気まぐれ日記も更新した。シャワーで流して hairdye は完了。
続けてキャメロンで外出。有料道路を1区間だけ走ることで、新しいETCカード(今日から有効になった)が使えることを確認した。GSへ行き、自動洗車をしたあと、満タン給油した。今日のレートは156円/Lだった。今が底値だね、きっと。帰宅してタイヤWaxスプレーをし、きれいになったところで、高齢者用の四つ葉マークをトランクのドアに貼った。ちなみにボンネット(フロント側ね)は、アルミ製なので磁石ではつかない。
おにぎり2個の昼食後、ETCカードの最終確認をした。自分でおこなったマイレージのカード変更は、無事にマイレージも移行されていたので、500ポイントを5000円に還元した。もう一つ、利用照会サービスは、今日から使用したので、それを入力して、サービス開始手続きをした。カードの変更と出発が連続して、ちょっと冷や汗をかいたな。
月初ルーチンもいくつかやっておかなければならない。カレンダーの更新、洗面所の鏡と排水パイプの掃除、空気清浄機の掃除、そして空気清浄効果を期待して大切にしているサンセベリアの水やり。
フェイスブックでやっと『和算忠臣蔵』が電子書籍で復刊されたと投稿した。私にとってSNSの投稿はちょちょいのちょいとはいかない。
重要なメールも出しておいた。しかし、重要なメールほどすぐ返信が来るので、また返信することになる(笑)。頼まれていたLINEメッセージも出したぞ。
ゆうちょ銀行アプリの送金限度額のアップ申請がやっと承認された。相当に疑われていたらしい。貧乏人だから仕方ないか。早速、1件、送金処理をした。
ああ、もう限界だ。旅行のための荷造りと着ていく服の選定もこれからだ。
次回気まぐれ日記の更新は、帰宅する11月5日の夜だな。
11月2日(木)「脚力鍛錬の旅?・・・の風さん」
1ヶ月前の上京時と同じくらいの8時10分に自宅を出発した。
知多道から伊勢湾岸へのりかえる場所が渋滞することは分かっている。焦らないために、ナビはまだ設定していなかった。
ルーチンのように新東名の浜松SAにピットイン。ここまで1時間半。ゆっくりと走っている。コーヒータイムのあと、ナビをIPMU(カブリ数物連携宇宙研究機構)にセットすると、予想到着時刻が午後2時過ぎになった。5時までに到着したいので、大楽勝だと思った。よし、ゆっくり走るぞ。
四葉マーク(高齢者努力義務)をつけて初めてのロングドライブでもある。それから、2週間後の目の検査のため、コンタクトでなくメガネである。
本当にゆっくり走ったので、お土産を買うため駿河湾SAに寄ったら、お昼になってしまった。ウィークデーなのに駐車場は普通乗用車でいっぱいだ。仕事ではない。明らかに行楽に出かけているのだ。トラックはやや少なめに感じるので、3連休の前後に休みをとっているのかもしれない。ま、とにかく、そこで、昼食にした。
天気は良いが、暑い。そして、大気はとても秋の感じでなく、透き通っていない。富士山は頂上が雪に覆われているのに、コントラストがボケている。
海老名SAに寄って、再びコーヒータイムにし、面会するIPMUの先生へメールで、5時ころ伺います、とメールした。出発時のナビの予想到着時刻は4時15分だ。このまま順調に走り続けられそうな気がした。
ところが、混雑していてもスムーズだった走りが、首都高に入って一変した。あちこちでノロノロ運転になる。マニュアル車なので、運転が一気に重労働じゃなかった脚力のトレーニングになった(笑)。
常磐道に入ってやっと普通に走れるようになったが、予想到着時刻は、4時半を過ぎていた。ところが、高速を降りる柏インターの手前が渋滞で、出口に並んでいるうちに予想到着時刻が5時ちかくなったため、先生へ電話したが、なかなか応答がなかった。
結局、ここからIPMUまでのわずか3km弱を1時間もかかって、面会できたのは5時45分頃で、わずか15分しか会えなかった。来年2月の講演のためのご挨拶と下見が目的だったのだが。研究所を背景に、手前に駐車したキャメロンの写真を撮った。夜間で、いい雰囲気。
その後、今夜の宿へ向かった。千葉県から茨城県へ移動するのだが、ナビは県道を案内する。それが通勤用道路らしく、また渋滞だ。途中で道路が事故のため封鎖になったので、Uターンして、別の道に入ったら、とんでも裏道をナビが示す。まっすぐ走れる道ではない。またまた脚力を使うドライブになった。牛久の小さなホテルにチェックインした。
11月3日(金)「神事流鏑馬(やぶさめ)に感動・・・の風さん」
朝食後、昨夜できなかった英会話の勉強(シャドーイング)をした。スピードについていけないからヒアリングができないことを実感した。
せっかく牛久に泊まったので、有名な牛久の大仏を見てから笠間へ行こうと思った。時間的には余裕があると思ったのも理由の一つだが、昨日の失敗の反省が生かされていないのは、やはり私が愚かだということか。
ナビにセットしたら、わずか10kmの距離だった(甘い判断)。よく画面を見れば、ルートが単純でないことに気付くのだが。
さらに途中で満タン給油もした。昨夜それをする精神的な余裕がなかったのが痛かった。当初スケジュールでは、柏インターを降りたら、近くで給油してからIPMUへ行くつもりだった。そうでなくても、IPMUの用事が終わってから、ホテルへ行くまで30kmあったのだから、その途中で給油すべきだった。後回しにしたことで、今日の余裕を食ってしまった。
牛木の大仏は遠くからでもその威容を望むことができる。世界最大のブロンズ立像だ(全高120メートル)。途中でキャメロンを道路脇に止め、キャメロンと一緒に写真を撮ることで、大きさを確認できるように工夫した。
そして、今日の本来の目的地(笠間市)をナビにセットしたのだが、牛木の大仏に来たことで、少し近付いていたのではないかと思ったら、その逆で、距離が伸びていた。さらにナビは圏央道に誘導する。騙されたと思って、圏央道にのったのだが、まもなく渋滞になってしまった。しまったと思うと走り出し、しばらく走るとまた止まってしまう。わけわかんねえ渋滞で、途中で降りてしまう判断が難しかった。でも、結局、イライラしてきたので降りた。やがて6号線になった。こちらも流れたり、渋滞したりを繰り返す。目的地の方向は分かっているので、脇道に入るべきかまた判断が難しかった。やがて、355線に入るようにナビが指示し、目的地の笠間市へまっすぐ向かうルートになった。
予想到着時刻が午後1時近く、これは当初スケジュール通りで、全く余裕がなくなった。途中のコンビニに寄って、パンとコーヒーを買って、夢中で腹におさめた。そして、笠間市へまっしぐらに向かったのだが、地元の人が心配していた通り、渋滞になった。11月3日、笠間市はイベントが集中しているのと、テレビCMで吉永小百合さんが宣伝していた(JR東日本「大人の休日倶楽部」)効果なのだ。
それでも、午後1時に到着できたのは奇跡だろう。
その後、笠間稲荷神社の神事流鏑馬を堪能し(2回目だが、迫力に目が離せない。これは何度でも見たい。動画を撮りまくった)、歴史館「井筒屋」で地元の小学生が参加した小野友五郎新聞の優秀作品の展示を見学した。恥ずかしながら鳴海風賞もある(笑)。
飲食もし、最後に、持参したお土産を「小野友五郎を伝えてゆく会」の人へ説明しながら渡して、今夜の宿へ向かった。昨日より時間的に余裕があるので、英会話の勉強は必ずやろうと決意しながらハンドルを握った。
11月4日(土)「朝から水道屋・・・の風さん」
今朝も昨日と同じようにホテルの朝をスタートさせた。
朝食も混雑していない時に摂ることができ、出発予定時刻まで新聞(無料配布)に目を通し、持参した参考図書を読もうと思い、その前にトイレを使ったら、なんと水が流れなかった! 我が家で歩く水道屋もやっている私の本能が目覚めた。ユニットトイレの上蓋を開けて、ハンドルのあたりに手を伸ばし、チェーンつまんだら、千切れていた。腐食が原因だった。常に水に浸っている部品である。防錆処理が甘かったのだ。設計不良か手抜き工事と思われる。
フロントに電話したら、すぐ修理に行った方がいいですか、と聞かれたので、お願いします、と答えた。相手は、チェックアウト後の方がいいかと確認したらしい。
男性スタッフが来るかと思ったら、若い女性で、説明すると、5分くらいくださいと言った。ちなみに部屋のドアは開放状態(当然である)。どうするか聞いたら、ちゃんと交換用のチェーンを持参していて、「経年劣化です。交換します」とさらりと言った。
本当に5分くらいで修理が完了したので驚いた。「手際がいいですね。うちでも僕がやるけど、チェーンの長さ調整が難しいじゃないですか」と言ったら、「部屋によって長さの違いはありますが、適正寸法を把握しています」とのことだった。
チェックアウトのためルームキーを返しにフロントに行ったら、修理に来てくれた女性が一人でフロントをやっていた。大きなホテルなのに、何でもやらされるのかと驚きながら「さっきはどうもありがとう」と言ったら「行ってらっしゃいませ」とマニュアル通りの挨拶が返ってきたが、表情は納得顔だった。
これまで近くまで来ても見学する機会がなかった古河にある鷹見泉石記念館を訪ねた。あらためて鷹見泉石の偉大さに触れることができ、感動した。また来ようと思いつつ付近をうろうろしていたら、外人の女性から Can I help you? と声をかけられて、一瞬うろたえた。続けて、What are you looking for? と聞かれた。あとで分かったのだが、ベルギーから来た女性で、ちゃんと同行の日本人もいて、私をからかっただけだった。だって、立場が逆でしょ?
その後、次女夫婦の家に寄って、2時間ぐらいペットの犬や猫とも交流した。
最近、私個人のことで色々なことが起きているので、それらをしっかり説明できたのが良かった。それほど遠くない先に、私はこんなに精力的に動き回れなくなるだろう。
自宅を出発してもう600km以上走ったが、今夜の目的地までまだ155kmあると言ったら、ええっと夫婦は驚いていた。私も驚きだ。
道の駅で知人へお礼の品物を送る手配をした。GSに寄って満タン給油もしておいた。
日が短くなっているので、夜間走行となったが、ほとんどの区間が有料道路で、交通量が多い。3連休の中日だが、こういった状況は正常なのだろうか。
今夜のホテルは別荘のような作りで、維持管理に手間暇がかかりそうだが、宿泊料は安かった。このホテル、朝食は出ない。晩御飯は近くのラーメン屋に行った。店内の異様な匂いに、気分が悪くなりそうだった。何の匂いかは不明。
さすがに疲労を感じたので、早めに就寝することにした。寝不足は安全運転の大敵だ。
11月5日(日)「阪神が日本一・・・の風さん」
しっかり寝たので、睡眠不足にはならない。このホテルは朝食がないだけでなく、フロントが通常のチェックイン時間帯にしかいない。できるだけコストを抑えたいのかと思うが、部屋は広く光熱費が割高な構造をしている。いつまでもこのままではやっていけないだろう。
昨夜できなかった英会話の勉強をしようと頑張ったが、出発時刻がやや早いので、少しだけだった。誰もいないフロントで部屋のカギをキーボックスへ入れてチェックアウト。外へ出ると、昨夜駐車してあった他の車がほとんどない。
中央道もいくらか走って、目的地に着いた。約1か月前にも来た、北杜市郷土資料館である。その時は始まっていなかった企画展「和算を楽しむ者たち〜北斗の和算家と算額〜」の見るために来た。
当地は甲州なので、江戸時代は甲府藩の領地だ。幕府とのつながりが強い。失礼だが、和算が盛んだったという印象はない。そういった中で、地元に立脚した和算展をおこなうのは難しいと思っていた。
ところが、展示は素晴らしいものだった。展示品という意味ではなく、展示内容が秀逸だった。和算は江戸時代を通じて、全国津々浦々に広がった。著名な和算家がいなくても、どこでも和算に親しむ人、和算を活用する人はいた。ここもそうで、大きな和算発展の流れの中、時間軸と空間軸で、北斗地方の和算発展を解説しているのである。
実際の解説文は、和算の内容を的確にとらえていて、文章もすぐれたものだった。新人の学芸員に「いつから勉強したの?」と聞いたら「6月から」という答えで、驚愕した。大学では民俗学を専攻したそうだが、研究者としても今後の成長が期待される。
企画展で超満足した私は、家路を急いだ。1か月前は長野県佐久市から出発したので、長野道から回ったが、今回はすぐ中央道にのった。諏訪湖SAで昼食にしたが、連休中とはいえ、人出が多い。新型コロナは終息していない。インフルエンザは早々と流行を開始した。国内経済はまだ十分な回復はしていないし、成長を再開することが課題だ。世界に目を向ければ、21世紀にもなってリーダーたるべき国が戦争をしている。国連は機能不全に陥っている。そのような中、この秋の行楽客だろう、人出の多さに違和感をおぼえる。かく言う私もその中の一人だと指摘されても堂々と返答できない。
道路工事による渋滞はあったが、ピットインを繰り返しながら、目標の5時までに帰宅できた。今回の3泊4日の旅で、1100km走った。
長女が来ていたので、ワイフと3人で晩御飯を食べに行き、そのあとすぐ名古屋まで送った。
午後11時過ぎに帰宅した。今夜の走行も合わせると、1200kmになる。レンタカーで走りまくった2度のドイツ旅行でも、1週間でやっと1000kmだったから、なかなかタフなドライブ旅行だった。
阪神が38年ぶりに日本一になったという嬉しいニュースがあったことで満足し、さっさと寝ることにした。
11月6日(月)「日常に戻ろうとしたら微熱・・・の風さん」
未明に首の痛みで目が覚めた。頚椎症が再発した。ベッドから抜け出して、ロキソニンを服用して、また横になったが、首を動かさないようにした。
旅行中はタイムスケジュールを守るため、早寝早起きだった。それに比べると、今朝は寝坊だが、問題は頚椎症である。幸いロキソニンが効いていて、仕事はできそうだった。
旅行中と違って、昨夜から気温がぐっと下がったようだ。屋内にいても半そでTシャツでは寒く、長そでを羽織った。
旅行中になぐり書きした3日分の日記を、手を入れながらアップした。
来週末に講演がある。そのための追加の勉強が必要で、参考資料を持って旅行に行っていたのだが、ほとんど読めなかった。それで、急いで読んでしまおうと頑張ったが、なかなか中身が濃い。面白い。結局、晩御飯までかかってしまった。
夜は、英会話の勉強を再び軌道にもどした。それが終わった時点で、何となく熱っぽい感じがしたので、検温してみたら微熱があった。やばい。コロナかインフルだったらどうしよう。とりあえず解熱剤を服用して寝た。
11月7日(火)「終日屋内作業・・・の風さん」
また未明に首が痛くて目が覚めた。ロキソニンを1日2錠では足りないのか。ただ、微熱が消えていたのは良かった。コロナやインフルだったら高熱になるはずで、いくらワクチンを接種しているとはいえ、仕事に大きな支障となる。
途中で睡眠妨害があったので、起床は少し遅らせた(寝坊したと書け(^_^;))。ストレッチもほんの少し。朝食はホットミルクのみ。
朝刊に役に立つ記事が出ていた。もちろん1面ではない。この新聞、毎日1面がくだらない(コラム以外)。前日にネットで知っているニュースに対して何ら付加価値がないからだ。むしろ、前日に、多角的にニュースを見ているので、視点の低さが目立つ。データも少なく、グラフがあれば間違っている。
1面以外に、役に立つ記事があるのだが、今日のは、がんのゲノム治療に関するものだった。がんとは遺伝子の病気である。昔から分かっていることだが、その本質にせまる治療法が進化しているという具体的な内容だ。単純に言えば、胃がんとか肺がんといった部位別の治療ではなく、遺伝子の変異別の治療が進んできたということ。先日、秋田でミニ同級会をやったが、同級生からも教えられていた。
ルーチンを終えて、昼食にパンを食べた。外で活動している時は、しっかり食事を摂る必要があるが、屋内で仕事をしている時には、ちょっと食べ過ぎただけで、もう体がぐったりしてしまう。いつでも聴けるようになった昔のカセットをステレオで聴いた。大学時代にFMエアチェックで録音したものでも、いい音で聴ける。音質にこだわって録音したから、そこそこレベルは高い。しかし、どうもそれだけはなさそうだ。聴いている私の耳が老化で、周波数特性が悪くなっている気がする。つまり高周波成分に対する感度の低下だ。カセット特有のテープヒスや音源に入っているノイズは高周波である。だから、ノイズが聞こえなくなっているので、何となくいい音に聞こえている可能性が高い(笑)。
来週の講演の準備として、まずは既存のスライドの収集にとりかかった。仕事の一つの基本として、過去の遺産は活かすことである。そして、新しく作成するスライドは厳選することだ。過去の収集がだいたい完了したので、1種類だけ新しいスライドを作成する準備をした。古文書からの引用スライドで、私の専門であり得意分野だ。
夕方になり、また頚椎症が出かかったので、ロキソニンを服用した。
夜は、英会話の勉強。こちらは勉強だけしていればよいわけではない。早く、講演スライドを作成し、英語版にすること。そして、想定質問と回答をできるだけたくさん用意することだ。
今日は発熱もなく就寝モードに入れた。コロナやインフルでなくて助かった。
11月8日(水)「WBSから『源氏物語』へ・・・の風さん」
3日連続で未明に首の痛みで目が覚めた。とりあえずロキソニンでごまかしているが、タイミングを見てクリニックへ行くことにする。
ワイフを駅まで送ってから、朝食を摂り、ルーチンと簡単な雑務を先に片付けた。簡単な雑務と書いたが、アクションアイテムとして列挙すれば、かなりの数になるので、一気にやらず少しずつやっているので、すぐ終われそうな量だけという意味だ。
ビジネス用語でWBS(ワーク・ブレイクダウン・ストラクチャ)というのがある。大きなテーマを階層構造(でなくてもいいが)に分解(細分化)し、(プロジェクトなら部門やメンバーに割り振りし)小さなテーマにして一つ一つを処理していく考え方だ。現役時代、私はプロジェクトリーダー業務ばかりだったので、こういう考え方は知っていたが、嫌いだったので、意識して利用したことはない。プロジェクトリーダーとしては失格の人間で、自分一人で最も手ごわいテーマに体当たりで挑むのが好きだった。最も手ごわいテーマとは、誰もやりたくないけど、やれば効果が大きなテーマだ。たとえば、自分よりはるかに上位の職制の説得である。喧嘩もいとわない覚悟で臨む。今の世界なら、ネタニヤフ首相、プーチン大統領、習近平国家主席だろう。
話は大きく逸れた(笑)。現役引退後、老化とともに業務遂行能力が低下するにつれ、このWBSを使い始めた。恩師である大野先生の研究態度からヒントも得ていた。細分化して、できるアイテムを少しずつやっていく。最後に、手ごわいアイテムが残るが、もうできることは残っていないので、逃げ道はない。自らを追い込んだ結果、最後は徹夜になったりする。徹夜ができる間は、このやり方でまだいけそうだ。
昼食後は、来週の講演の準備の続きだ。全体の枠組みは決まっている。それらを充実するために、まだ勉強することが残っていた。どんな場合でも、勉強は楽である。本当の仕事になってからが一番きつい。精神的な問題である。
晩御飯まで、その楽な勉強を続け、晩御飯後は、英会話の勉強だった。これも勉強なので、精神的には楽である。来年2月の英語での講演の本格的な準備に比べれば、遊んでいるのに等しい。
就寝前は、複数の本を少しずつ読む。もったいないので、本当に数ページずつしか読み進めていなかった、楠木誠一郎さんの『チーム紫式部!』(静山社)をようやく読了した。歴史考証をふまえた上で、とんでもストーリーで始まった作品だが、最後はちゃんとオチがあった。千年前の『源氏物語』成立は、やはり奇跡としか考えられない。作者だって、千年以上のちの人々が楽しく読んでくれるなんて思ってもいなかったろう。
11月9日(木)「雑務の山崩しあと少し・・・の風さん」
昨夜ロキソニンを服用して就寝したので、痛みはなく起床。朝食後クリニックへ向かった。早く起きて活動を始めるなんて、この間の旅行と同じだ。やればできるということか。途中で眠くならないのは、しっかり寝ているからかもしれない。
クリニックは混んでいた。整形外科と内科の二つを受診できるようにマシンで受付をした。すぐに内科受診のための血圧測定をしたが、正常値だった。少々ストレス気味なのに、なんだこれは? 今日は相当に時間がかかると思ったが、意外と早く整形外科から呼ばれた。頚椎症が再発したのでロキソニンが欲しいという話は光速で終わり、来年目の手術を受ける話をした。手術も進歩しているからねえ、と医者に言われた。続けて、内科から呼ばれるのも早かったが、中待ち合いに入ってから長かった。時間のかかる患者がいるせいらしい。眼科からの手紙を読んだ医者は、ほとんど気にしていないようで、じゃあ返事をファックスしておきますからね、料金がかかりますよと言われた。なんか商品を買ったみたいな感じだった。
今日は二つの診療科を受診し、それぞれから薬もどっさり出たのに(さらに返信代も入っているはずなのに)、いつもより料金が少なかった。おそらくどこかで計算ミスがあったのだろう。しかし、診療明細を見る限り、何かが抜けているようには見えなかった。不思議だ。
帰宅し、インスタントラーメンの昼食を摂り、ルーチンと簡単な雑務に取り掛かった。雑務の中では、スマホからの送金処理とか、X(ツイッター)への投稿とか、けっこう色々やった。
来週の講演準備の続きとして、昨日に続いて、研究者の論文を読み、自分の認識が上野健爾先生のそれときわめてよく一致しているので驚いた。これまで話し合ったり議論したりしたわけではない。長いお付き合いになるが、それが続いているのは、何かある。和算に関しては、私の現在の最高の師匠である。
晩御飯後の英会話の勉強が、新しい教科書に入った。発音に関する専門書で、おそらく決定版である。ここまで次女が残したDVD教材とYouTubeで全体像がつかめたので、この専門書で仕上げにしたい。
ロキソニンがたっぷり入手できたので、1日3回服用して、早急に体をだましたい。
11月10日(金)「数学も英会話も奥が深い・・・の風さん」
今朝も痛みなく早起き。やることが多いというのは幸せなことだ。もっとも仕事をじゃんじゃん作り出しているのは私自身で、生産性はきわめて低い。お金にならないことばかり。ただ自分のライフスタイルにこだわっているだけだ。しかし、そうやっていないと生きている気がしないのだから仕方ない。
トーストの朝食後、ルーチンと簡単な雑務処理に取り掛かった。これらが昼近くにだいたい終わったので、先日、IPMUでおこなわれた講演をYouTubeで聴講した。日本人数学者の講演で、なかなかテーマが理解できなかったが、従来超越数とひとくくりで言われていたものの中に、新たな数の定義が出てきたということだった。その定義の出発点は図形問題だというのが面白い。つまり、図形問題を解くためにあるいは解いたことで得られる数のグループが超越数の中に定義できるというものだ。これは、図形問題にこだわった江戸時代の和算家に教えてあげたいと思った。きっと目を丸くするだろう(笑)。
卵かけご飯で昼食にした後、来週の講演の準備の続きに取り掛かった。時間がかかっているのは、まだ閃きが足りないからだ。足りないことは、自分の経験と勘がそう言っているだけだが、これはベテランだから分かるのである。まだあるはずの閃きなしで、講演スライドを作っても、満足できないのは明らかだ。だからモチベーションが高まらない。
晩御飯の後は英会話の勉強(今日も児童書の執筆の続きに取り掛かれなかった)。ネイティブの発音を聴きながら、シャドーイングの真似事をしみると、スピードについていけない。自分で発音できないくせに聴いて理解できるわけがない。そういうことだろう。日本語でも早口に耳がついていけなくなっている。これは老化現象だ。この老化現象も乗り越えていかないと、英会話は上達しないのだろう。ようやくそのことにも気付きだした。とはいえ、今日は、リズムやイントネーションの再認識もあり、英会話の奥深さは、まだまだ先が見えない。
11月11日(土)「自分の生き方は変えられない・・・の風さん」
毎日猛烈な勢いでたまっている雑務を減らしつつ、重要課題に取り組んでいる。が、満足できる状態ではまったくない(完璧主義者じゃないけれど)。
トーストの朝食後、遅れていた月初ルーチンのレンジフードの掃除に取り掛かった。10日も遅れているので、相当に汚れているかと思ったが、そうでもなかった。デスクダイアリーをチェックすると、先月は9日にやっていた(笑)。てきぱきと終えて、徒歩で投函に行って来た。ついこの間まで激しい残暑だったはずなのに、急に晩秋か初冬のような大気を感じる。梅の剪定が気になる。自分でやると決めたことだ。往復千歩の投函を終えて帰宅。
昼食は卵かけご飯を軽く一杯。書斎でPCに向かうと大橋純子の訃報が出ていた。73歳だったという。早すぎる。長男の部屋へ入って、カセットテープを探した。あった。大橋純子のヒット曲ばかりが入っている。「鍵をかえして」から始まった。録音はなんと1979年だ。私は翌年社会人になった。ということは、彼女の全盛期というのは、20代じゃないか。どの曲も歌詞がドラマチックで、彼女の訴えるような歌い方に合っている。壊れていたカセットデッキを分解して自分で修理できないことを確認し、想定していた修理代で中古機を購入したから、こうして大橋純子の歌が聴けたわけで、・・・ため息が出るぜ。
同窓会誌に載っていた知人の原稿を読み、それをPDFにして保存しつつ、知人へ長いメールを書いた。
1週間前に寄った北杜市郷土資料館の企画展の資料をPDFにして保存し、フェースブックで紹介しつつ、和算研究者2人に企画展が素晴らしかったことを報告した。
こういった行為を雑務と私は呼んでいるが、やらない人はやらない。自分の生き方として、気になることは何らかの決着をつけておきたい。できないことはできないが、できることだと、やらないと気になって仕方ない。どうせいつかは忘れてしまうのだろうが、覚えている間は苦しいのだ。損な性格かもしれない。しかし、自分の生き方として肯定してこれまで生きてきた。
だから、もう一つ、気になることをやってしまった。それによってレターパックを1つ作った。レターパックやスマートレターなど、思い付いたらすぐできるように、いつもストックしてある。これも自分の生き方なのだ。
来週の講演の準備を再開したが、だんだん課題が見えてきた。ネタは何度も扱っているものだが、切り口というか視点が新しい。新たに準備するスライドが生じている。大変だが、やるしかない。しかし、同じスライドで、来月の近畿和算ゼミの講演もやろうと思い始めている。
晩御飯後、ニュースが始まる前に、徒歩でまた投函に行った。用意したレターパックを出しに行ったのだ。明日は日曜日で、ポストからの収集は早朝になる。しかも、1日1回だ。今夜中に出さないと気になるのだ。やれやれ。
英会話の勉強も先が見えない。発音の勉強がこんなに大変だとは思わなかった。
11月12日(日)「医療費の心配はないかも・・・の風さん」
急に冷え込んだせいで、寒さで夜中に目が覚めた。ただ覚めただけではない。悪寒戦慄に近い症状が出た。そうか。自分は寒い朝にこうして死ぬんだなと思った。父は寒い朝洗面所で心不全で死んだが、自分も似た死に方をするのだろう。
睡眠が不十分で10時起床。久しぶりの寝坊だが、意味が違う。
ストレッチをちゃんとやって、ワイフとブランチもして、ルーチンに取り掛かった。たまっていた雑務は徐々に減ってきている。来年2月のIPMUでの講演のための旅程を決めた。とりあえず前泊が確定した。ホテルの予約もした。あと当日の宿泊を決めて、翌日以降のスケジュールを決めなければならない。
ホッとしたところで、気になることをネットで調べた。厚生労働省のHPで確認できた。木曜日の医療費が安く感じたのは、病院の計算ミスではなく、70歳から74歳が対象の高齢者医療負担2割になったからだった。この負担割合は3割と1割しか頭になかった。インボイス制度と似ていて、途中まで1割で優遇されていたのが、本来の2割になっていたのだ。この2割の適用は、誕生月の翌月の診療からだそうで、まさしくそれに該当していたわけだ。これからまだ何度も医療費がかかる診療(検査や手術)が控えている。自己負担が安くあがるのは助かる。あと医療保険で手術や入院保証がどれだけ得られるかだ。1年以上前に医療保険を2種類にしたので、どちらも請求できるだろうから、きっとプラスになる(これまで支払った保険代はないものとして)。
今日も来週の講演の準備の続きだ。これだけ大変なのは、かなりハイレベルに目標を設定しているからだろう。仕方ない。これが私の生き方だ。
晩御飯の後、英会話の勉強ができなかった。来月初めの学会参加の可能性(マイカーで往復)を検討しなければならなかった。帰宅時刻は目標通りになることが分かった。あと、往路で何をすべきかだ。
11月13日(月)「夜に入り突発のミッション発生・・・の風さん」
今日も雑務をこなしながら、講演準備に注力するぞ、と決意しながら起床。
キャメロンに満タン給油してきた。ガソリン単価は156円/L。安。しかし、かつての相場より上がっている。
来月の近畿和算ゼミの講演タイトルを、今週末の講演と同じにして連絡した。今週末の講演の舞台は日本技術士会で、近畿和算ゼミの参加者からすると、ちょっと興味深いのではないかと思ったので、それを紹介する狙いもある。
来月といえば、ある学会での発表を聴講するため、奈良まで行くことにした。発表は午前中なので、前泊することにし、安いホテルを探して予約した。キャメロンで行くので、駐車場無料という条件もつけて探した。奈良はあまり行ったことがないので、少し観光もしてこようと思う。
来年のIPMUでの講演は、懇親会があるので宿泊になる。事務局からのホテル情報の中に、昨年会員になってポイントを得たホテルがあったので、そこを予約した。ポイントを使って、千円得をした(笑)。
雑務をそのくらいにして、講演スライド作成の続きだ。これまで断片的に作成してきたスライドを一気通貫で並べてみたら、すごくアンバランスだった。その調整を少ししながら、レジュメの構想も考えた。基本は、講師のプロフィール、講演骨子(目次+α)、役に立ちそうな資料である。A4サイズで2枚にしたい。
夜になり、ワイフの実家のお義母さんが悪徳業者に狙われたという情報があり、姉妹の都合が悪くて、私が業者追い払い役として出馬することになった。1日がかりの仕事になりそうなので、仕事道具を持って行くことにした。やれやれ。突発だが、これはきわめて重要な任務である。
11月14日(火)「特別出動・・・の風さん」
今日の特別出動のため、少しでも仕事をしておこうと頑張ったので、就寝は今朝の4時。目覚ましで、7時に必死に起床した。
自宅をワイフのアクアを借りて出発したのが8時10分だった。実家に到着したのは9時20分ころ。ドアにチェーン錠もかけた。
悪徳業者と決まったわけではないが、状況からそう判断して対応した方が安全だった。
相手は引き取り業者で、義父が亡くなって一人暮らしになった義母の固定電話にかけてきた。人助けのため、不要になった義父のズボンを引き取りたいとのことだった。女性の声で、義母は今日の10時に男が4人で訪れることを了解したという。賢明な人は、もうここで、相手が悪徳業者だと判断するだろうが、俗世間から離れている義母には、遠い昔の記憶や経験による判断力しかなかった。仕方ないことだ。
間に合った! まだ業者は来ていないという。義母に状況説明を始めた。これは夕方までかけて、何度も繰り返すことになる。粘り強さが必要だ。徒労に終わることは半ば明らかだが、諦めてはいけない。
約束した10時以前に固定電話が2度鳴ったが、出なかった。表示部には同じ携帯電話番号が出て、メモした。昨今の泥棒には空き巣は少ない。在宅している時を狙った強盗が多い。それと同じだと思った。
応答しなかったが、10時39分にやって来た。「こんにちは」と若い男の声。もちろんドアは開けない。「どちらさまですか?」と聞くと、しばらく沈黙。相手は考えているのだろう。やがて「引き取りに来ました」の声。名乗らなかった。あらかじめ決めていた「出すものはありません。帰ってください」と言った。相手が何かぶつぶつ言っていたが、私はドアから離れた。もう会話する気はない。してはいけないのだ。会話すると相手の術中にはまる恐れがある。
もしドアを激しくたたいたり、窓を割るような行為があったら、即警察に電話するつもりだった。義母にそう言ってあったが、そこまでいかなかった。ドアのノブをガチャガチャさせている程度だった。やがて、静かになった。何人で来たかもわからないし、諦めて帰ったのかも分からない。
居住地の市役所のホームページにアクセスし、相談窓口の電話番号を探した。それらしいのがあったので、電話した。そこで正解だった。これまでの経緯を話した(技術屋なので、データが蓄積できたから専門家に相談できるのだ)。専門家のアドバイスは、次の2点だった。@また固定電話にかけてくる。知人の番号以外は出ないこと。Aまたやって来る可能性があるが、知人でない限り、ドアを開けないこと。
どちらのアドバイスも義母が一人になったら対応は難しい。それで、@については、私が今日帰るとき、電話線を外すことにした。義母は携帯電話を持っているから、それで連絡はとれる。Aについては、今日帰るまで義母に繰り返し説明をする。それが精いっぱいだが、優しい声で、まともなことを言われたら無理だ(困っている人を助ける気持ちはありませんか、と聞かれたら、助ける気持ちはない、とは言えないだろう)。
夕方まで実家にいて、義母が何度も買い物に出ようとするのを制止した。狙いは義母である。義母が一人になるのを外で見張っているかもしれない。だから、日没を過ぎるまで、私は実家に滞在した。持ってきた仕事道具はほとんど使えず、少し仮眠するのが精いっぱいだった。
本当は、義母を連れて帰るつもりだったのだが、かたくなに拒絶された。私たちに迷惑をかけたくないと主張するのだ。私たちに心配をかける方がよっぽど迷惑だと説明しても、こういった論理的な説明は義母には通じない。老人の特性である。万が一のことがあっても、承知してこうなった自分に責任があるなどと言う。場合によっては殺されるんだよ、と言っても、分かっているなどと言う。
日本では、一人暮らしの老人が狙われる事態は、これからますます増えるだろう。物価対策などより、少子化対策にはるかにウェイトを置いた施策が必要だが、政治家は当面の得票による保身を重要視する。そういった政治家を選んだのは国民だが、日本人の特性として、義母と同じように、分かっていてよくない世の中になっても、自分のせいだと思ってしまう。それでは手遅れだと声を荒げる人は少ない。
その後、固定電話にかかって来なかったが、姉妹に今日の状況を電話で説明し、義母の見ているところで電話線を外し、そっとドアを開けて周囲を見回してから、夜のとばりが降りた中、私は家路についた。
明日は義妹が実家にやって来る。
11月15日(水)「和算の輝く宝物阿部楽方さんの訃報・・・の風さん」
昨夜は晩御飯を食べた後、仕事を再開しようとしたが、すぐに限界に到達した。諦めて、急いで就寝態勢に入った。
いつもほど早くは起きられなかった。
自分としては1日遅れになるが、週末の講演のためのレジュメ作成の続きに取り掛かった。今回は事務局の方針で、レジュメは事前に参加者へメール送信され、印刷して持ってきてもらうという。参加者は全国から来るので、前日送信はNG。今日がタイムリミットである。
当初3ページ案を考えていたが、2ページにすることにした。何とか完成させ、昼前に事務局へ送ることができた。
午後1時半ごろ、そのレジュメが参加者へ配布されたことをccメールで知った。やはりギリギリだったとあらためて胸をなでおろした。
昼食後、疲労のせいか、花粉症が悪化したので、最後の手段、抗ヒスタミン剤を服用した。そのせいで、今度は睡魔が襲ってきて、しばらく仮眠しなければならなかった。
3時半ころ、ケータイが鳴った。岩手県和算研究会の会長からで、方陣作家の阿部楽方さんが亡くなられたという。昨年の全国和算研究大会で、私は何としてでも、楽方さんの超絶技巧方陣を展示したかった。なぜなら楽方さんは秋田県人だからだ。大会長を拝命してあまり時間がたっていないころから、この夢が実現するように、関係者に働きかけをした。その結果、ご高齢の楽方さんに代わって、お嬢様が作品を持参して展示してくださった。再び見ることができた私は、もちろん感動したが、作品のデータも購入させていただいた。また、秋田大会は秋田魁新聞でも報道されたが、この超絶技巧方陣はちゃんと記事になっていた。そういった和算の輝く宝物のような阿部楽方さんが亡くなられたのである。遠くて、通夜や葬儀に駆け付けられないのがなんとも悔しい。
その後、気をとりなおして、講演スライドの作成の続きに取り掛かった。
いつもの就寝時刻まで頑張ったが、のろまの私は、今日も完成させることができなかった。
11月16日(木)「来年の手術は予定通り・・・の風さん」
目覚ましで6時15分起床。苦手な早起きだが、仕方ない。名古屋の眼科に9時までに着く必要があった。
検査のために2週間コンタクトを外していた。その間に、左目の乱視がひどくなった気がする。コンタクトで矯正されていたのが、開放されたことで、何らかの物理的な影響が水晶体に及んだような気がする。しかし、今日の検査はそんなことは関係ない。予定通りに白内障の手術をするなら、水晶体は人口の眼内レンズと交換されるのだ。
白内障の手術はそれが主目的ではなく、緑内障の手術を容易にするためにおこなうものだ。診察前に、眼圧の検査から始まったのだが、信じられない低い数値が出た。いつも夕方検査を受けている。点眼は朝にしているので、効果がなくなっているのかもしれない。その後、いくつかの検査(眼球の測定がメインだったようだ)と手術前の説明を看護師から受けて、医師の診察になったが、やはり最初の眼圧の値に医師も驚いた。「これだけの値が出るなら、手術はやめた方がいいかもしれない」と言いつつ、自らも眼圧測定をしてくれたが、高い値が出たので「これなら安心だ。やってもいい」と苦笑していた。仮に点眼の効果があったとしても、短時間しか持続しなかったのだろう。
白内障の手術では、どれだけの度数の眼内レンズを入れるかが悩ましいところだ。近視だった人は、よく見えるようになりたいと思うのが普通だろう。私ももっとずっと若かったらそうだったろう。しかし、今は違う。裸眼で遠くを見る生活は減少していく。特に必要性が高いのは、運転中だが、早ければあと5年で運転をやめることになるかもしれない。一方、生活の大部分は屋内に限定されていく。目標として、死ぬまで執筆は続けたい。屋外に出にくくなれば、インターネットを利用するこ頻度は増す。PCの画面を見る時間が、今後も最も長いと思われる。したがって、眼内レンズの焦点は、PCの画面に合うようにするのが良いと思った。遠くをしっかり見るためには、弱い度数のメガネを使う。手元が今より見にくくなるなら、老眼鏡を使う(現役時代は使っていたが、退社してからスマホゲームをやっているうちに老眼鏡は不要になっていたが、また元に戻るだけだ)。
2回の手術をはさんで、それぞれ術前来院と術後検査の日程も組まれた。交通費もばかにならない。ただ、問題なく手術が終われば、翌日からかなり普通の生活ができそうなのがうれしい。最も気を付けなければならないのは、手術した目からの感染症である。不要な水分を目に入れないことがポイントだ。それならできる。
病院で午前中がつぶれた。帰宅時の電車で疲れて居眠りしてしまい、ひと駅乗り越した。そこから歩いて帰宅したが、たいした距離ではない。
遅い昼食としてインスタントラーメンを食べてから、明日着ていくスーツを出し、販売用の書籍をそろえた(未署名のものにはサインをした)。
今夜、やっと講演スライドが完成した。明日、MacBookAirの中で使えるように調整すればいい。最後は、英会話の勉強などの雑務をすべてやめて、ギリギリ間に合った。のろまな自分には呆れるしかないが、とにかく間に合った。
天気は雨になり、明日の昼まで止みそうもない。自宅を出る時までに晴れてほしい。
11月17日(金)「講演で久しぶりの満足感・・・の風さん」
8時起床。外はまだ雨が降っている。
販売用書籍を段ボール箱に詰め、折り畳みカートにゴムバンドで固定した。ひと箱だけなら、これで十分だ。
講演用スライドをMacBookAirの中で調整した。動画のリンクもさせた。慣れた作業である。与えられた時間内で講演を終えるため、スライド枚数をかなり減らしてある(特に書籍のPRスライドをなくしたのは残念だが仕方ない)。よけいなことをしゃべらなければ、大丈夫だと思うが、油断はできない(笑)。
雨雲レーダーの予報通りに、12時で雨が止んだ。日も差してきた。
今日の大会の最後はウェルカムパーティであり、参加を要請されていた。アルコールも出る。だから、移動には、公共の交通機関を利用する。
スーツに着替えて、昼食としてインスタントラーメンを作って食べた。ワイフは、トール教室の真っ最中なので、駅まで送ってもらうわけにはいかない。
今日の講演は1年前に依頼された重要な大会の中でのものだ。第49回技術士全国大会で、会場は名古屋国際会議場である。大会は今日から4日間にわたっておこなわれる。私の初日の中の専門会議、経営工学部会の中でゲストとして講演させていただくのだが、内容は何でもいいわけではなく、経営工学部会らしいものを期待されていた。熟考した結果、講演タイトルを「『塵劫記』は角倉一族の経営工学書!?」とした。
雨が上がったのは良かったけれど、カートの荷物は重い。それ以外の荷物は、リュックに詰めて、両手が空くようにした。これは学会に参加する先生たちの標準スタイルである。
途中なるべくエレベータを使うようにしたが、階段も多く、カートを両手で抱えて上り下りした。若いころは想像もできなかった古希の老人の姿である。それができる私は「年齢より若い」と言えるのか、それとも「年寄りの冷や水で無理しているだけ」なのか分からない。
予定のほぼ1時間前に到着した。控室に荷物を置き、レストランでコーヒーを飲んでひと息入れた。
技術士会での講演は、今回が7か8回目くらいになる。ただし、全国大会は初めてなので、遠方から来られた方とは初見である。自己紹介はレジュメの中にしっかり書いたので、講演では話さない。とにかく持ち時間の1時間半を超えないようにすることが大事だった。
途中にもチェックポイントを設定して、見事に10分前に終えることができた。質疑の時間まで確保できた。私は久しぶりに満足感をおぼえていた。
ウェルカムパーティー会場へ移動し、ホール前に販売コーナーを作ってもらった。多くの人が立ち寄ってくれて、本も売れたのだが、今日の講演内容と密接に関係する『和算の道をひらけ!』が売れない。講演の中で特にPRしなかった(スライドは作ってあったが、あとで外した)。レジュメの最後に書いたからそれでよしとして、講演時間を守ることを優先したのだ。ところが、どうも事前にメールで配布されたレジュメはあまり読まれていなかったようだ。
今回の大会には300人くらいの参加があったという。なので、ウェルカムパーティーも広いホールが使われ、新型コロナ蔓延前の状態が復活したようだった。2時間の予定の真ん中へんで退室して、家路についた。
駅までワイフに迎えに来てもらい、晩御飯は外食にした。
さすがに疲れたので、今夜は早めに就寝することにした。最後まで満足感があった。それは持ち時間内に終えることができたからだ。
11月18日(土)「どんどん状況変化に流される・・・の風さん」
起床後、久しぶりに筋肉痛があった。ひどくはない。昨日の歩数は7000歩弱だったけれど、立っている状態が長かった。それよりも、荷物を持っての階段の上り下りがきつかったらしい。腰を痛めないようにすると、両足にしっかり荷重をかける。そして、両手でしっかり抱える。な〜んだ、昨日は筋トレを兼ねていたのか(笑)。
ワイフとブランチ後、歩いて投函に行ってきた。晴れてはいるが、やや風があり、ひんやりする。往復千歩を速足でこなして帰宅した。
昨日の講演準備のため、また雑務がたまっている。昨夜できなかった英会話の勉強を先にこなしてから、講演の後片付けだ。散らばっている荷物を少しずつ元の位置に戻して行った。売れ残った拙著の入った段ボール箱は、明日以降にする。特殊物入れに上げるのはけっこう手間である。
ホームページの更新もルーチンの最後にやった。2日分の日記と辻真先先生からいただいた新刊の掲示をした。昨日の講演記録もつけるのだが、実は、退社直前におこなった大きな講演(本名でやったもの)を2つ、記録に追加するのを忘れていた。だから、3つ追加した。まだ記録忘れがあるかもしれない。大きなものがあったら、追加しよう。いずれにせよ、昨日の講演は記録上は、通算179回目になった。これなら生涯講演回数は200回を楽にこえそうだ。無償のものも多いが、拙著はあまり売れないので、世の中へのメッセージ提供を講演で補っているのだ。
夕方、定例の長女がやって来た。粘り強くサラちゃんの人間恐怖心を和らげていくのだ。ただし、今回は、半月後にせまっているワイフのトール教室展の手伝いもやるという。ごくろうさま。
・・・と、とつぜん、電子レンジが壊れた。ワイフが操作している途中で、プッツンと死んだという。この電子レンジは長女のお下がりで、10年以上使い込んだものだ。「歩く電器屋さん、来て〜」と呼ばれたので、早速分解に取り掛かった。自分で修理できないと分かったら、すぐ新品を購入しないと、使用頻度が高いので、困ることが多い。途中まで分解したところで、基板上に壊れたらしい部品が見えたのだが、さらなる分解が難しそうだった。
そこで、晩御飯になり、今夜はきりたんぽ。日本酒を盃で2杯飲んだだけで、酔っぱらってしまった(笑)。電子レンジの分解作業はあきらめて、Amazonprimeで映画を観た。インディージョーンズだが、だいぶ以前に観たものだ。しかし、半分くらいストーリーを忘れている。それよりも、英語を聴きとれるか試したい気持ちが強かった。初めて観るわけではないので、こういうよけいなことをやってもいいからだ。
う〜ん、聴き取れない。字幕を見ると、かなり意訳してある。だから、字幕はあまり参考にならない。まだまだ勉強が足りない。
11月19日(日)「墓地の異変・・・の風さん」
電子レンジの分解の続きをやった。ほとんどネジ固定なのだが、どんどんネジを外して行っても、結線類がギリギリの長さで、肝心のプリント基板を自由にできない。電源コードがつながっているすぐ近くのガラス管のヒューズが黒くなっているので、ヒューズが切れているように見える。もっと近くで、あるいは外して見ないと確信できない。このヒューズは半田付けで固定されているので、半田ごてを持ってきて、半田を溶かして外すことにしたが、きわめて窮屈な作業になった。そして、やっと外してみたら、ヒューズが切れているのは間違いなかった。
拡大鏡を持ってきて、このヒューズを詳細に観察してみたら、17A、250V、直径6mm、全長20mm仕様だったが、両端に端子が出ているのも特徴だった。ネット検索してみたら、17Aという仕様は存在していなかった。両端に端子が出ているのもきわめて稀だった。仕方なく、相当品というか、近いスペックのものを選んで発注した。明日、届く。
そろそろ喪中はがき出さなければいけない。先ず、送り先候補リストを作成した。通常よりやや多めだ。相手が喪中でも出すことになるからだ。
夕方からワイフと墓参に行った。不思議な光景を見た。うちだけでなく、隣近所の墓もそうなのだが、砂利が石板の上に散らばっていた。少々の風が吹いてもこんなことはない。どうやら先日の、雹が降った日の出来事らしい。大粒の雹が叩きつけるように降れば、小石より小さい墓地の砂利を跳ね飛ばすことはありそうだ。
長女をアクアで名古屋まで送るついでに、晩御飯をレストランで食べた。日曜日の夜、大入りである。もう新型コロナのことを心配する人はほとんどいなくなったのかもしれない。
先日の長距離ドライブは裸眼でメガネだった。約2週間裸眼で通したのだが、その間に、左目が乱視だということが明白になった。再びコンタクトに戻していると、左目の乱視がほとんど気にならない。来年、眼内レンズを入れると、この乱視はどうなるのだろう。
11月20日(月)「電子レンジの修理の結果は?・・・の風さん」
午前中は月例のATM回り。キャメロンで外出し、JAに着いたところで失敗に気付いた。銀行カードでなくクレジットカードを持ってきてしまった(笑)。ボケ老人らしい失敗で、いやになっちゃうが、めげていては寿命がすぐ尽きる。我が家へ逆戻りし、銀行カードを持って、違うATMへ向かった。同じ場所を往復するとますますめげる。
JAでおろしたキャッシュの一部をUFJの口座へ入れた。UFJの口座は作家用で、綱渡りが始まっている。
午前中に、発注した部品が届いたので、昼食後、電子レンジの修理に取り掛かった。うまくいくのではないかと期待でワクワクしている。
購入した部品はディスクリート部品といって、両側からリードが出ているので、プリント基板の穴に挿入して半田付する。壊れたヒューズは、半田を溶かして外したが、穴がふさがっていた。そこで、裏の物置から電動ドリル用の小径ドリルを持ってきて、手回しで慎重に穴を開けた。何しろ作業空間がせまく、リードの挿入は至難の業だった。何と挿入し、基板から出たリードを半田ごてで加熱し、そこへ半田線を当てて・・・きれいなフィレット形状を作れば自慢できるのだが、汚い半田付になった。熟練の技は私にはない。
分解途中は、iPhoneのカメラで写真を撮ってあるので、それを参考にしながら、再組付けしていった。最後にカバーだけが残ったところで、もう試運転できる状態なので、電源をつなぐと、表示板が点灯した。電気が通じたのである。もうほとんど成功を確信した。水を入れたカップを中へ置いて、あたためる操作をした。ちゃんと過熱が始まり、温度の数字も上がっていく。喜びもうなぎ上りだ・・・・とその瞬間、ストップしてしまった。
詳細は書かない。面倒でもあるし、真の原因は分からない。何度か同じことを繰り返したあとで、再び電子レンジは死んでしまった。分解しなくても、ヒューズが切れていることは間違いないだろう。つまり、過電流が流れる何らかの問題があるのだ。どこかでショートしかかっているのかもしれない。それを探るだけの知識も労力も持ち合わせていない。修理は断念した。
ワイフに説明して、早速新品の選定に入る了解を得た。長女が持っている自慢の電子レンジと、私がネットから得た情報を参考に、ヘルシオというタイプ(ただし小型)に決めた。Amazonから発注した。明後日届く。
喪中はがきのデザインの検討をした。ワイフとも相談し、鳴海風の名前で出すものは、明日の昼間、連名で出すものは、明日の夜、印刷することにした。枚数が不足するのは確実なので、残りは明後日以降の印刷となる。
英会話の勉強をしたら、もう貴重な1日の残り時間がなくなってしまった。やばいぜ。遅れに遅れている。
11月21日(火)「喪中ハガキ印刷でヘマ・・・の風さん」
常に仕事は遅れ気味だが、毎晩就寝時に少しだけ(笑)反省し、明日は何をしようと決意して、すとんと眠りに落ちる(やはり反省ができていないか)。寝坊でなく起床できた場合は、さあ今日こそ大量に仕事をこなすぞ、と飛び起きる(・・・ことは危険だからしない)。
そうして始まった1日だが、スマホをチェックしたら、久しぶりにメルカリが売れていた。昨夜売れていた。今日中に発送しなければ。
先ずは、ワイフを駅まで送り、帰って来てすぐ物置の荷物の出し入れをした。
月初に出かける前に、ETCカードが変更になってバタバタしたが、ETCカードは付属で、メインのカードが変更になっていた。当然、番号も変わっている。クレジットカードとして使う頻度は少ないけれど、旧カードを廃棄して、新カードの重要事項をメモに追記しておかなければならない。送ってきた書類を「めんどくさいな」と思いつつ読みながら、作業を続けていった。暗証番号はそのままで、紛失時の連絡先が変わっていた。重要事項メモは更新したが、電話番号を中心とした住所録にも追加しておくべきだろうが、今回はパス。ついでに、スマホアプリもあって、色々な手続きができることも分かった。しかし、これも今回はパス。急いでやると、データベースはぐちゃぐちゃになりかねない。
hairdye の発注をし(これは代引きでしか購入できない)、来月初めの奈良での学会の参加登録をネットからした。
ここまで順調だった。続いて、喪中ハガキの印刷だ。先ず、鳴海風の名前で出す分の印刷を始めた。枚数は決まっているので、裏面から。
ハガキの印刷は、かつては失敗が多かった。プリンターの紙送り精度が悪かったのが一因だ。最近はほとんどミスがない。裏面の印刷はスムーズに終わった。続けて表面(宛名面)。ここでは、フォントや位置の調整が必要となる。あまり真剣に考えず、まあまあの修正で乗り切った。
両方できたところで、ふと不安になった。チェックしようと思っていて忘れていたことに気付いた。はたしてヘマをやってしまった。令和五年とすべきところを令和四年と印刷してしまった。ボケ老人から認知症の域に入るにしたがい、子ども時代の気性がよみがえってくる。おっちょこちょいだった(笑)。
ラベルシール用の紙を用意して(たいてい何でもそろっている)、五という文字をたくさん印刷し、ハサミで切って四の上に貼ることにした。接着はまったく問題なくきれいに貼れるが、狙った位置に貼るのは至難の業だった。ピンセットでつまんで慎重に置いても狂ってしまう。何度かやって諦めた。私のヘマが気付かれても仕方ない。しかし、この作業に1時間以上かかった。大きなロスタイム。
晩御飯後、夫婦連名用の喪中ハガキに取り掛かった。残っている喪中ハガキすべての裏面を新しいデザイン(ワイフの希望通りに)で印刷した。
今夜は、いつも連名で出している相手と、ワイフが個人名で出している相手の宛名をすべて印刷した。私の本名分は次回だ。
明日から入院で大腸内視鏡検査なので、その準備をしてから就寝した(少し反省しながら)。今回から高齢者の仲間入りで、日帰りでは検査してもらえない。
11月22日(水)「慣れた大腸内視鏡検査・・・の風さん」
昨日の昼食と夕食は検査用の指定食だった。下剤を飲んで寝たので、今朝早速その効果があった。実は一昨日から着々と準備して、腸内をスッキリさせていた。
キャメロンで出発。病院は遠いので、有料道路も使った。指定の30分前に到着した。ナースステーションへ行き、すぐに入院手続きをし、病室へ案内してもらった。検査入院なので、安い大部屋(4人用)にしてあった。他の3つのベッドはまだ空だった。
看護師が来て検査準備の説明を受けた。これまで未明に起きてから自宅でやっていたことをここでやるのだ。今回で4回目くらいになるので、慣れている。服用する下剤は、これまでと少し違っていた。味が改善されていて、よりスポーツドリンクに近付いていた。途中でお茶や水を飲む必要があったが、そのノルマはなくなり、2回、錠剤の服用があった。
半分くらい飲んだところで、もよおしてこないので変だなと思った。実は、もうほとんど腸の中は空っぽだったのだ。後半に入り、腸のすみずみまで薬液が入って行ったところで、もう合格に近いレベルだった。最後は、看護師に便器内をチェックしてもらい、合格となったが、その後も、4回トイレに行った(笑)。おそらく2年前の前回よりも腸内はきれいになっていたろう。
検査に呼ばれるまで、辻真先先生からいただいた創元推理文庫『改訂・受験殺人事件』を読んだ。内容もさることながら、執筆中の辻先生の姿がほうふつとして面白い。恐るべき博識の先生なので、ちゅうちょなく文章を書いている気がするのだ。私の場合、知っていることをすべて書くのはためらわれる。できるだけ書かないように工夫する。それが遅筆の一つの原因になっている。
検査そのものも慣れているので、緊張はまるでない。鎮静剤であっという間に眠りに落ち、ストレッチャーで病室まで運ばれて、その1時間後に目が覚めたのでナースコールした。まったく問題はなく、むしろ気分は爽快で、空腹感すらあったので、自動販売機のあるところまで行き、パンとカフェオレを買ってひと息入れた。
その間に、隣のベッドに新入りがいた。通常の検査を受け、ポリープ切除があったので、入院になったらしい。
私はポリープの切除はなかった。明日、予定通りに退院できる。
晩御飯は五分がゆだった。期待通り、私は元気で、辻先生の本の続きを読み、消灯後はスマホで映画を途中まで観た。Wi-Fiがつながるので助かった。映画は途中だったが、ワイヤレスイヤホンの電池が切れたので、12時半に就寝した。
11月23日(木)「退院いっきに日常へ・・・の風さん」
7時起床のつもりが、6時の院内放送で目が覚めた。これで調子が狂ったかも。8時に朝食を食べになつかしい食堂へ行った。全がゆだった。調べてみると、五分がゆは水10:米1、全がゆは水5:米1だった。比率の数字を考えると、逆のイメージがある。しかし、もし数字のイメージ通りだとして、一分がゆがあれば、水1:米1になってしまうから普通のご飯より硬くなるだろう。あくまでも計算上だが、正しくは水50:米1となるか。数学の問題だな、こりゃ(笑)。
下の写真は今朝の全がゆ朝食。
病室に戻ると、やけに疲労感がある。読書をしたが、続かない。9時ころ医師の回診があり、問題なしと申告したので、退院が許可された。今日は祭日なので、休院のため会計は後日、玄関が閉まっていて裏口から出るそうだ。さらに15分間ベッドに横になってから、ふらふらと起き出した。隣のベッドの人は、ポリープ切除で急遽入院になった人なのだろう。最後まで一度も姿を見ることなく、退院していった。
だいたい準備ができたところでスマホをチェックしたら、Wi-Fiを利用したにもかかわらず、途中で1回切断したのが効いたのか、規定の量を超えてしまった。やれやれ。
祭日は病院の連絡バス(最寄りの駅まで)も走らないので、キャメロンで来たのは正解だった。一般道をのんびり走って帰宅した。
昼にインスタントラーメンを食べた。お腹が空っぽの感じがあり、食欲がある。しかし、朝感じた疲労感は抜けていない。睡眠不足なので、しばらく横になることにした。1時間くらいして、何かひっかくような音がして目が覚めた。サラちゃんが脚立にのぼって特殊物入れに上がろうとしていた。この間、特殊物入れで猫の毛を発見したが、やはりサラちゃんだったのか。サラちゃんは物入れに上がり、まるでキャットウォークのように進んで、箪笥の上まで行き、そこから逆戻りして、再び脚立から降りてきた。
睡眠不足は解消したので、喪中ハガキ印刷の続きをやった。7枚不足となった。明日、追加購入して印刷しよう。今日はここまでだ。
発注した電子レンジは昨日届いていた。開梱して中身を出した。小型タイプだが、意外と重かった。これからヘルシオくんと呼ぼう。
既設のアース線と接続し、レンジ台にのせたら、こわれた電子レンジとほぼ同サイズだったので、色が変わっただけで違和感はない。早速、冷めたコーヒーを温めてみた。いい感じに温まっていた。音がやや大きいのが難点だが、無音を求めて怒っていたユーザーほど無知ではないので、これでOK。そのうちワイフが何か複雑な料理で使って感動するだろう。
病院の続きで、読書もしたし、英会話の勉強もした。日常が戻りそうだ。続けて、気になっていたビジネス(作家業ではない)の方に手をつけてみた。中断していたセミナーの新企画と、来年1月のビジネス講演には、共通部分もあるので、週明けまでに何らかのメドをつけたい。
あと、児童書の執筆の続きだが、これは今日はもう体力が残っていなかった。
昨夜の映画鑑賞の続きをリビングでやって、今日は閉店。
11月24日(金)「ボケ老人は寒さに弱い?・・・の風さん」
印刷した自分用の喪中ハガキを持ってJP分局へ行った。それを窓口へ出すとともに、不足分を購入した。
帰宅し、不足分を印刷し、それを持って徒歩で投函に行ってきた。穏やかな陽気で、気持ちがよかった。行楽日和なのだろうが、もう何十年とこの季節に行楽の旅に行ったことがない。マグロの人生を歩んでいる人間に、行楽などというぜいたくは許されないのだろう。
書斎のディスプレイがやや不安定(ときどき画面が黄色くなって、さらに消えてしまう)なので、長男の部屋のものと交換してみた。机の上で美的には低下するが、画面が大きくなった分、作業性は増す。当面これでいこう。
資金確保のため、この間修理のために購入したヒューズの残りをメルカリに出品した。これから少しずつ出品を続けなければならない。
ルーチンを終えて、次は英会話の勉強だと思っていたら、児童書の編集者からフォローのメールが来た。
ビジネス書の新企画なども含めて、すべての予定を消滅させ、編集者のメールに返信する準備を始めた。準備とは、何のことはない、きりのよいところまで執筆して、それを添付して返信するのである。
一方、ワイフも大ピンチだった。1週間後のトールの展示会の準備で、まったく余裕がないと言う。パソコンから印刷するものがあり、手伝ってくれというから、もちろんOKした。
ワイフの手伝いをしながら、児童書の原稿を久しぶりに見直した。きりのよいところまで修正していくのだ。
晩御飯後、意外にも体力不足となった。一昨日の検査日は信じられないくらい元気で、退院した昨日から日常に戻ってこのザマは何だろう?
全国的に気温も下がり始め、我が家も寒くなってきた。病院内は25℃一定で快適だった。老人は気温が低いと能率も下がるのだろうか。
児童書の原稿はかなり修正できたが、最後まで行かなかった。今夜はここで諦めることにした。
11月25日(土)「果報は寝て待て?・・・の風さん」
むずかしい課題を抱えていると、他のことをやっていても頭脳の一部はそのことの思考をやめないものだ。今朝、目覚めると同時に、児童書の原稿の突破口が思い付いた。それで、朝から取り組んだ。きりのよいところまで修正することができた。編集者のためにページ名入りの縦書き原稿も作成してメール添付で送付した。今後のことについては、あとでまたメールすると書いた。
昼食後、ルーチンと中断していた雑務を先に片付けて、気持ちを切り替えようと思った。
急に寒くなったので、小型の石油温風ヒーターを2台出した。昨年の灯油が入っているが、意図的にたくさん入れてあるので、気にせず点火してみた。問題なし。メルカリ出品も昨日に続いておこなったので、何となく弾みがつきそうな気がした。
結局、晩御飯前まで、こんなことが続いた。それで、ふと思った。やることが多すぎる。否。やりたいことが多すぎる。やろうとしすぎる。本来の性格だから性格は変えられないが、分かっているなら、ちゃんとコントロールしろよ、ということだ(笑)。
しかし、やらねばならないことも多い。それらの多くが遅れていると言っていい。ビジネスセミナー新企画、庭の梅の剪定、キャメロンのハンドルの修理、長男の部屋の家具の転倒防止・・・etc.
昨日より少し早く閉店にし、また明朝、解決策が頭に浮かぶことを期待する。
11月26日(日)「ボケ老人の抵抗・・・の風さん」
大学受験浪人に入ってから、意識して「1年365日、1日24時間休みなし」をモットーに生きてきた。それが今でも(もしかすると惰性で)続いているのだが、冷静に考えてみると、若い時のそれとボケ老人の現状とでは、中身に相当な開きがある。気持ちだけは変わらなくても、現実はついてこない。
能率と効率の低さを時間でカバーしていたのが若いときである(普通の人とは違う)。長年蓄積してきた経験値や買いためた資料類は豊富にある。それでも、能率と効率は現在はさらに低下しているだろう。それを補うために、さまざまなIT機器を駆使している。技術系で生きてきた恩恵である。だから、最近3度目のAIブームになっているが、まったく抵抗なく進化した分だけ取り込もうとしている。
ビートルズの新作が出たり、手塚治虫のブラックジャックの新作が出たりしているのもAIを含めた技術の進化のお陰である。私は生きながらにして、その進化を利用しようと思っている。しかし、抵抗はないのだが、カバーしきれない何かがある。やりたいことが多すぎるのかもしれない。そして、老人らしく、次から次へと健康を筆頭に諸問題が発生する。健康について言えば、来年の眼の手術をのりきれば一段落するのではないかと思っているが、そうでないかもしれず、この状態を受け入れつつ、対応しつつ、仕事をこなすためにはどうしたらいいのか。悩みは深い。
オーナーだけでなく家電類も最近やけに壊れる(笑)。新規加入メンバーとなったヘルシオくんは、だんだん壊れた電子レンジの穴を埋めながら、さらに余力を発揮しつつある。こういったものも、ボケ老人としては、助っ人にしたいと強く思うのである。
ちょっと意地を出しておこなったメルカリ出品が大当たりで、「いいね」ボタンが押され、2つ続けて売れた。出品時の工夫や値段付けが妥当だったと思いたい。メルカリ出品の一番の目的は身辺整理である。今回意地を出したのは、来年の眼の手術の後、メガネを更新する必要があり、その資金(メルポイントで支払うので)をためるためだ。フレームはそのままで、多ければ2つのメガネのレンズを更新する。何ともいじましい話だが、仕方ない。ボケ老人はビンボー老人でもある。
児童書は、次の章のあらすじを考えた。なるべく起伏を大きくして、主人公がピンチになるように考えている。方針はこうやってすぐ立つのだが、あらすじを考えるのもなかなか時間がかかる。
11月27日(月)「自分の性格との戦い?・・・の風さん」
土日は外出せずに書斎仕事に専念と思って過ごしてきた(が、あまり進まなかった)。今日から外回りの仕事もやりながら、作家業を頑張らねばならない。
朝食を摂ってもいいギリギリの時刻に起床(もっと早起きしなければ)。キャメロンで外出。今日は時間確保のため、途中のポストで投函を3通。GSへ行き、先ず自動洗車。今週末奈良へ行くからだ。自分で洗車しているヒマがない。これも時間確保。奈良へ行くため、わずかだが満タン給油した。セルフだが、もしGSの人に英語で頼むのなら、「Will you top it up?」と言うらしい。英会話の勉強で知った。おそらく俗っぽい話し方で、上品ではないと思う。しかし、この動詞の top は、トッピングという表現で馴染みがある。意味と使い道が幅広いのだろう。ガソリンの単価は前回よりも4円上昇していた。乱高下というのは大げさだろうが、変動が大きい。寒い季節に入って来たので、灯油も2缶購入した。
昼食にインスタントラーメンを食べ、電話を2本かけ、書斎仕事に取り掛かる前に、1時間の仮眠をとった(体力なさすぎ)。でも、午前中はここに書いていない雑務をまだやっているのだ(言い訳)。
児童書を書いているが、私の場合、どうしても和算か数学がからんでしまう。今回も和算をからめるように出版社から依頼があった。単純な作品にできないのは、私の性分だろう。どうしてもオリジナリティを加えてしまう。今回もパズル的な和算を中に入れるのだが、ひとひねりすることにした(してしまった)。鳴海風という看板がそうさせるのだ。和算研究者が読んでもちょっとニヤリとしてしまう要素を入れたいのだ。それでいて、なお子どもが読んで面白いというのを狙っているので、ボケ老人は頭脳をフル回転させることになる。結果、執筆が遅れる。やれやれ。これでは稼げないわな(笑)。
晩御飯後は英会話の勉強など、オリジナリティや創造からはやや離れたことをしよう。当面のチャレンジは発音である。
11月28日(火)「英会話で新たな不安・・・の風さん」
朝食後、恒例のドラッグストアまとめ買いに出かけた。恒例の意味は、決まった日に割引があるので、その日を狙って行くからだ。主夫というほどではないが、ハウスキーパー的な働きをしているので、自分が使うものは自分で選んで買いたい。
あらかじめ買う物は決めてあるし、即断即決の人なので、買い物は短時間で終わる。作家業もこれくらいのスピード感があれば、もっと著書が売れるのだろうが、なかなかそうはいかない。
今日はそののろまの執筆が少し進んだ。もっともっと進んでもいいのだろうが、なぜだろう。しかし、ほんの少し気が楽になってきた。今後、加速する予感がないこともない。
晩御飯後、 hairdye を強行した。待ち時間にしていることは英会話の勉強というか、発音の勉強だ。目からウロコの状態が続いている。良いテキストにも恵まれた。これをしっかりやっていけば、英語の発音に関して、相当に慣れていくと思う。
ところが、同時に、新たな不安が出てきた。発音の勉強のためにテキストに掲載されている文章のほとんどには、知らない単語がない。一つ一つの単語だけ見れば、その意味は知っている。ところが、文章全体の意味が分からないのが多い。難しいイディオムが使われているというより、日常の表現が選ばれている感じがする。日常の日本語の会話も同じだ。そのまま文章にしたら、立派な文章とは言えない。話し言葉と書き言葉の違いだ。発音の練習用に選ばれている文章は、この話し言葉のようだ。だから、読んで分からない。ひょっとすると、前後の文脈が分かれば推定はできるのかもしれないが。聞いて分からない英語でも、文章になっていて読めば分かるのなら、まだ救いはあるが。今度は聞いて分かっても意味が分からないことが起きるような気がしてきた。やれやれ。これからどうなっていくのだろう。
11月29日(水)「決意と反省の繰り返し・・・の風さん」
昨日で外回りは終了。今日は午前中に気になっている雑務を3つ処理することにして、決意も新たに起床(笑)。・・・と、実は毎日こんな感じで始まるのだが、終わってみれば、思ったことの半分もやれていなかったことになり、反省しつつ閉店となる。
もしかすると、禅寺にこもって座禅を組み、いっさいの欲を捨てて仏門に入り、静かな余生を過ごす段階に入っているのかもしれない。昨年、ステキな戒名もいただいたのだから、本当にそうするべきかも。だがしかし・・・と、俗物はあらゆる欲を捨てられない。悟りはまったく開けない。
ま、とにかく、午前中の雑務の中の一つ、保険の点検があった。今年1月1日付で、見直した保険がある。昨年の暮れに営業マンが来宅し、それまで入っていた保険の内容が時代や私のライフステージに会っているか説明してくれた。その結果が、今の保険である。もちろん月々の掛け金が増えるような無謀はしていない。結果として、この見直しに私は満足していた。たまたまだが、来年1月の眼の手術についても、見直したおかげで保険金がおりそうだ(確認は年末におこなう)。マイナとの連携など、既に自分で色々とやってあったことも再確認できた。
何をやるにしてもテキパキとやれないので、昼食後も、雑務を続けた。それらを何とか終えて、執筆の続きとなった段階でコーヒータイム(笑)。
やっと執筆が進み出したので、モチベーションも高まっている。ところが、ここでまた持病が出た。とりあえず書き進めればいいのに、細部が気になって調べまくるし、文章の推敲までやってしまう。
晩御飯後は英会話の勉強だ。これはずっと続けるが、来月になったら講演スライドをかためて、それを英語に翻訳しなければならない。そして、来年の1月からは、質疑応答に備えて、関連情報の英文(想定質問に対する回答だね)をどんどん作る。ああ、やることが(やりたいことが)多すぎる〜。
今夜の反省としては、明日こそ、あまり気にせず書き進めるぞ。
11月30日(木)「短期・中期・長期・・・の風さん」
早めに手を打つのが私の戦略的な態度。ところが、これ、徹底できていない。肝心の創造的プロセスに関してだけ、これができない。悩みは深い。
が、ともかく、今日、その早めに打とうとしている手が空を切った。近年、世界情勢の変動で、発注した新車の納入が異常に遅れることが多い。来年7月にアクアが車検で、5年目になるので、買い替えを検討している。そこで、カリチューに、その時期に納車するための適切な発注時期を既に相談していた。ところが、今日、電話があり、車種によって、今でも発注が停止されているものがあると言う。そして、その停止がなくなるタイミングで、即マイナーチェンジが発表されるものもあると言う。やれやれ。困った世の中だ。
さて、ルーチンはやるとして、雑務を極力やめて、今日は執筆だ。迷いを振り払いつつ、書き進めていく。
ワイフのトール教室の作品展が明日から始まるので、今日は作品の搬入で忙しい。サラちゃんと留守番をしながら、私は執筆に専念した。
何とか、自分のイメージしたペースで書き進めていくことができた。細部にこだわらないというペースだ。しかし、きりのよいところまで執筆できたのは、午後9時近くだった。急いで下へおりると、さすがに寒い。石油温風ヒーターを点火し、パン2個の夕食を10分で終えた。ニュースを上の空で見ながら、この週末の作戦をあらためて考えた。かなりの行動範囲となる。無茶かもしれないが、現役時代に戻ったつもりでテキパキこなしていくしかない。
ワイフは10時近くに帰宅した。生徒さんたちと満足できる展示レイアウトができたらしい。
英会話の勉強と読書をしてから就寝モードに入ったが、これらも中断してはいけない。中期的に重要だからだ。
現役時代に上司から学んだこと。課題に対して、短期、中期、長期の3つの視点で手を打つことだ。これは一般化した表現だが、モノづくりの世界にいたので、具体的には品質問題がこの対象になることが多い。すぐ手を打つこと(暫定対策)と、完全に解決すること(根本対策)、そして再発防止が長期的な対策となる。
2023年12月はここ
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